隠された謎の検証

※作品に対する監督の狙いは「はじめに」の項目をお読みください。

 

※このページにはネタバレが含まれます。

作品を鑑賞後にご覧になることをお勧めします。

<第五回の謎「りんの秘密と、花澤香菜さんアフレコの舞台裏」>

2019.02.12.

第一回でも取り上げた「夢オチ」と誤解されやすいラスト近くの病室シーン。

ここでベッドに眠っているりんは、ここまで登場してきたヒロインのりんとは別人です。

つまり、この作品には、二人のりんが登場します。

そして劇中で何度もインサートされる、少女の幻影

「あんたなんか、いなくなっちゃえ」。

さらに、ヒロインのりんは、中学生の奈澄葉と出会うことで、封印していた過去を呼び覚まされます。

りんが奈澄葉を気にする本当の理由はここにあります。

奈澄葉にはどこか幻影の少女の面影があるのです。

りんが浴室で奈澄葉と再会した直後、突き落とされるシーン。

奈澄葉の背中から蛾の羽が生えますが、よく見ると、それは奈澄葉ではありません。

髪型を見てくれればわかります。つまり、この少女は……。

二人のりんの幻影的な交錯の真実が、クライマックスの回想である、りんの小学生時代の“事故”によって明かされます。

 

 

現在のヒロイン、りん。

病室の、もう一人のりん。

「あんたなんか、いなくなっちゃえ」とつぶやく女の子。

小学生時代の親友だった二人のりん。

中学生の奈澄葉に投影される幻影の少女。

 

これらの人物を一人で演じているのが、花澤香菜さんです。

 

一見、平凡な女子大生に見えるりんに秘められた二面性。

そして、小学生の女の子から中学、高校、幻影まで、完璧に演じ分けてもらいました。

 

実際、彼女でなければ、りんというキャラクターを演じることはできなかったと思います。

 

あの複雑なストーリーとキャラクターを理解してもらうだけでも大変と思います。

感謝しかありません。

 

彼女はアフレコ時も、すべてのシーンでほぼ一発OKだったのですが、実は唯一、私が「録り直し」をお願いした箇所があります。

 

映画本編のアフレコではなく、アフレコ後に収録した、宣伝用のメッセージ動画です。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=pYPgqELlCcU

 

最初の収録で、花澤香菜さんは「椎田りんを演じました花澤香菜と申します」と自己紹介されました。

それ自体、何の問題もないのですが(台本の頭にも役名はそう書かれていますし、映画の冒頭でもそう話しています)、この作品において、彼女は様々なりんを演じていただいたのですから、あえてここは、名字を伏せた「りん」として自己紹介してほしいと思い、無理を言って、もう一度だけ収録しました。

現在、YouTubeなどで流れているメッセージ動画には、そうした事情がありました。

 

花澤香菜さんが見事に演じ分けた二人のりんを通して、この作品の謎の真相に触れていただけたらと思います。

 

                    (プロデューサー/福谷修)

<第四回の謎「心霊蟲は寄生モンスター?」>

2019.01.27.

『アラーニェの虫籠』の重要なモチーフと言えば虫=蟲です。

 虫と蟲は基本的に同じ意味なのですが、一般的には虫は昆虫を指し、蟲はクモやゲジゲジなどうごめく小さな生き物、さらに精霊、妖怪なども広義に含まれると解釈しています。

 

 劇中に登場する、不気味な蟲たちは“心霊蟲(しんれいちゅう)”と呼ばれています。

もともとこの心霊蟲とは、映画の企画段階の仮タイトルでもありました。

 ただ、あまりにもホラーのタイトルとしてストレートでべた過ぎるのと、すでに心霊〇〇というタイトルが世間にあふれ返っていたので、最終的には“不気味だが、ホラーっぽくないタイトル”として『アラーニェの虫籠』となりました(アラーニェ=アラグネの意味に関しては、また別の機会に解説します)。

 心霊蟲の説明に関しては、劇中の時世がわかりやすく解説しています(予告編でも一部紹介されています)。

 時世のセリフには、監督自身がこの物語を練っていく上でのプロセスが反映されています。

 監督は、“虫の知らせ”や“腹の虫がおさまらない”などのことわざに虫が使われている点に注目し、人間の体内には虫(蟲)が潜み、影響を与えているのではないかと考え、それが心霊蟲という発想の根幹となります。

 心霊と名が付くだけあって、その存在は容易に確認できません。ふだんは人間と共存共栄し、人間を人間たらしめるように陰ながら守り支えている、精霊のような存在です(もっといえば守護霊のようなものでしょうか)。

 ただし、その姿が人間に見えるのは、何らかの事情によって実体化し、体内から飛び出る時。その姿は醜悪な虫の姿になって現れるのです(それが心霊蟲として伝承された)。そして、心霊蟲が体内から抜け出した人間は、人であって人でない邪悪な存在に変貌してしまうというものです。

 人間の体内に別の生物が潜んでいるといえば、現実には寄生虫が有名です。寄生虫は不衛生なイメージがありますが、かつて寄生虫が珍しくなかった時代には、今のようなアレルギー症状の発症が少なく、それは寄生虫が体内に寄生することで免疫力が高まったとする説があります。このように寄生虫は、人間にとって必ずしも悪いことばかりでないのも事実です。

 

 しかし“体内に潜む生物”というと、どうしてもホラーのイメージがつきまといます。

 たとえばアメリカには「体内の蛇」という都市伝説があり、これが「エイリアン」のモチーフになっています。エイリアンの腹から飛び出すチェストバスターは都市伝説がモデルなのです。

 日本でも「寄生獣」がありますし、都市伝説の“フジツボびっしり”みたいに知らない間に体内で異物が育っているという話は珍しくないです。

 ホラー映画である「アラーニェの虫籠」にもそうした寄生生物への潜在的な恐怖を意識したシーンがあります。

 たとえば、りんが集合住宅に帰った時、庭でコガネムシに寄生した芋虫を目撃します。このシーンを見ると、やはり寄生生物の恐怖を印象付けます。

 さらにその後のエレベーター近くで、りんは、老婆が「虫が入ってきたああ」とうめくのを目撃します。

 ここで言う“虫”とは、すわなち心霊蟲なので、もともと老婆の体の中にいたものが、何らかの事情によって、ざわついて、老婆がその存在に気付いたと解釈できます。

 そして、その後、救急車で運び出される際に、実体化し、垂れた腕から飛び出したのです。

 ここだけ見れば、エイリアンなどの寄生モンスターの恐怖です。さらに、その後、図書館で、時世が、子供たちが死ぬ直前に描いた蛾の絵をりんに見せると、りんは「見たら死ぬ、呪いの虫?」とおびえます。

(何度も書きますが)心霊蟲は人間を陰ながら守り支える精霊で、いなくなった人間こそが、人間ではない存在に変貌します。

 昆虫の世界でも、「見た目は醜悪なのに実は益虫だった」ということは珍しくないはずです。

 心霊蟲も、エイリアンと同じ寄生モンスターのイメージがありますが、そう見せかけて、実際には真逆の存在なのだと思います。

 

 

                     福谷修(プロデューサー)

<第三回の謎「奈澄葉は幽霊だった?」>

2019.01.20.

りんの前に現れる、謎めいた少女、奈澄葉。ダンスが得意で、日が暮れても家に帰らず、一人で公園にいて、りんに、ネットの噂である“救済人”の存在を伝える……。

クライマックスでは、存在そのものが、物語の重要なカギを握るキャラクターです。

 

しかし同時に、彼女に違和感を覚え、「すでに死んでいるのでは?」と思った人も少なからずいるはずです。

 

 監督にそのことを質問すると、返事はこうです。

「奈澄葉は生きて存在します。でも、そう(幽霊だと)解釈してもかまいません」

 

 たしかに、後半の、廃墟での未可耶とのシーンを見ると、幽霊説は否定されると思います。

しかし、その後の、りんとの“再会”シーンは、どこまでが現実なのか、きわめて曖昧です。

あの部屋に“いた”奈澄葉は幽霊であってもおかしくないはずです。

また、前半で、りんが黒いフードの殺人鬼に襲われ、逃げ込んだ部屋で、少女のすすり泣く声が聞こえました。

りんは、それが奈澄葉の声だと推理しています。

仮にあの部屋に、本当に奈澄葉がいたとしたら、彼女は部屋の住人なのでしょうか。それとも、あの声こそ霊的現象なのでしょうか。

  

前半の、公園のブランコでりんと奈澄葉が会話するシーンも、一部の観客が感じたように、私もどこか違和感を覚えます。

物語の後半、りんが再び訪れた夜の公園で、無人のブランコが揺れていたのは、奈澄葉が存在しないことへの暗示かもと思いました。

監督は奈澄葉が実在すると言いましたが、すべてのシーンで彼女がリアルに実在したとは言ってません。

たとえば、シーンによって「りんが見た幻影(幽霊のようなもの)」の可能性は否定できないと思います。

 

仮に奈澄葉があの部屋で住んでいるのなら、一緒に暮らしている家族がいると思います(中学生だけに)。それは誰なのでしょうか。

奈澄葉をめぐる様々な謎。それを解く鍵は、初期の設定資料にあります。

実は初期の設定では、奈澄葉は中学生ではなく、小学生でした。

そうなると、りんの秘められた過去(小学生時代)の出来事や、脳裏にフラッシュバックされる、ショートヘアの女の子についても、様々なイメージのリンクが発見できると思います。

つまり、りんの過去の出来事が明かされることは、奈澄葉とその家族の正体にも結び付いていくのです。事実、りんの過去のイメージに様々なヒントが隠されていることは、映画を見た人ならお分かりいただけると思います。

 

奈澄葉が小学生だった設定は、その後のプロットを煮詰める段階で、監督と話し合い、変更となりました。

小学生だと、りんの過去の出来事とのイメージがあまりにも直結してしまい、世界観に広がりがなくなってしまう危険があったためです。最終的に奈澄葉は少し成長した中学生となりました(りんの「こんな時間まで、家の人心配しない?」というセリフは、奈澄葉が小学生だった設定を意識した名残とも解釈できます)

 

さらにオーディション時、役柄と同じ14歳だった白本彩奈さんに奈澄葉の声を演じてもらうことで、当初の想定以上に奈澄葉の存在感が増したように思います。

いずれにせよ、奈澄葉が小学生でも中学生でも、彼女がミステリアスな存在であることに変わりはありません。

 リアルに実在したとしても、たとえば、後半の夜の公園で、蟲を愛でて戯れる奈澄葉の幽幻美あふれるシーンなど、彼女が“人間”と、“人間ならざるもの”がとけ合った、この作品世界を象徴するようなキャラクターであることは間違いないと思います。

 

                         (福谷修/プロデューサー)

<第二回の謎「あの車のハンドルから飛び出た腕の正体は!?」>2019.01.15

 試写会で鑑賞された清水崇監督(「呪怨」/ 新作「犬鳴村」)が最も印象に残ったシーンとして、この車のシーンを挙げていました。

 実際に作品を鑑賞された人の中にも「いったいあれはなんだったのか?」と疑問に思った(戸惑われた)人も少なくないでしょう。

 プロデューサーである私も、このシーンは当初のプロットには具体的に描かれておらず、絵コンテ段階で初めて知りました。

 個人的には、「このわけのわからない、得体の知れない不気味さが、ホラーとしての映画のアクセントになる」と思い、あえて、このままにしました。

 実写のホラー映画では、たまにこうした意味不明なシーンが怖さのアクセントとなる場合があります。

 有名なところでは、『サスペリア』などのホラーの巨匠ダリオ・アルジェントの『インフェルノ』でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この映画の中盤、池で、袋に猫を入れて沈めて虐待している親父が、池に転落して、逆にネズミの大群に襲われるシーンがあり、そこに突然、肉屋のオッサンが駆け付け、彼を助けるかと思いきや、いきなり肉切り包丁で襲いかかり、斬殺するシーンがあります。後にも先にも肉屋のオッサンが登場するのはこのシーンだけ。私も昔、劇場で鑑賞した際には「いったい、あれはなんだったのか」とずっと記憶に残っていました(その後、映画を見た多くの人も同じことを言っていました)。この肉屋のオッサンのシーンに関しても、監督の意図した狙い説から、ほかの「肉屋のオッサンのシーン」がカットされてしまったなど、諸説ありますが、結果として強いインパクトを残し、意味が分からない怖さを醸し出しています。

 『アラー二ェの虫籠』を『インフェルノ』と比較するのが良いかどうかはともかく、ホラーなら、こうした理不尽なシーンがあってもいいのでは、と思いました。

 しかし、監督に確認したところ、監督にはちゃんと意図があったと言います(えっ?)。

 いわゆる“正解”は以下の感じです(すみません、まだ一部伏字にします)。

<●●●になりかけたまま、●を切断された●●●が、●●●を殺すため、最後の力で念を送った>ということです。

 つまり、あの腕の正体は……。

 具体的に、そうしたプロセスのシーンも絵コンテで描いたようですが、説明的になりすぎるとのことで監督はカットしたとのこと。

 伏字にしても、作品を見た人ならわかるかなと思います(わからない人は問い合わせてください)。

 結果的にこのシーンはあえて説明しないことで、清水監督をはじめ、多くの人に不気味な印象を残したかと思います。

                          (福谷修/プロデューサー)

<第一回の謎「結局、“夢オチ”だったの?」>2019.01.02

 あのラストって結局、夢オチ? 

 これは公開時に多く寄せられた意見です。

 ゆえにトークショーでは最初に取り上げていますので、この連載でも最初に取り上げたいと思います。

 結論から言えば、「ラストは夢オチではありません」。

監督もはっきりそう言っています。

 もちろん夢オチという解釈を観客がされてもかまいません。しかし、監督の当初からの正解ルートではありません。

 

 ラスト、ベッドで目覚めたのは誰だったのか。

直前のセリフやビジュアルなどからも考察していただけたらと思います。

 

 

 また、お気づきの方もいると思いますが、ラストの心電図は、冒頭にも登場します。ここも謎を解く鍵となります。他にも病室のシーンには様々なヒントが隠されています。

 

心電図に象徴されるように、この作品には生と死の境界線をめぐる、様々なメッセージが散りばめられています。

 

だからこそ、夢オチではないですが、一方で「これは臨死体験ではないのか」という考察もできます(プロデューサーの立場ではこれを推したいのですが)。

これは話が長くなりますので、また今後の連載で掘り下げたいと思います。

 

どれが現実で、どこからが妄想で、どこからが過去の回想なのか。

そして、それらは“誰”が抱いたものなのか。

単にストーリーを追うのではなく、ビジュアルを見て考察していくと、様々な隠された真実が浮き上がります。

夢のように見えたその先に隠れる謎の真相。それが監督が本作に込めたメッセージでもあります。

 ※今後もこのラストの考察は随時補足しながら取り上げる予定です。

 

 

© 坂本サク/合同会社ゼリコ・フィルム